ゆっぴの人生楽しんだ者勝ち!!

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【圧倒的かつ刺激的】Who's ゆっぴ!?~高校編~

 

どーも、ゆっぴです!

 

今日は、大分から来てくれた「じゅんちゃん」とランチに行ってきした!

明日の大阪女子マラソンに参加するとのこと。

*大分県ではよく地元紙に載るくらい有名!

相変わらず、すげーっす、じゅんちゃん。

 

じゅんちゃんとは、大学時代のバイト先で一緒でした。

スポーツジムのインストラクターのバイトです。

シフトが一緒の時は、バイト中にも関わらず筋トレしてましたねw

体幹は私よりも強め、、、

師匠!!

 

いつも笑顔で場を和ませてくれるじゅんちゃん。

今日ものほほーんとできました。

昔話に華を咲かせ、あんなことこんなこと話していました。

やー、最高のバイト先でしたね。

あの頃は私も体脂肪率7%台でしたが、今は13%あるんちゃうかな。

確り、じゅんちゃんに負けないようトレーニングしますw

 

じゅんちゃん、体調復帰したばかりということなので、

無理せず明日頑張って下さいね!

関西の地元紙でお会いするの楽しみにしてます!

 

 

ということで、

前回は起業の話に少し触れましたが、

今回は、全5回シリーズのWho'sゆっぴ!?(自分史)

第3弾!!

 

~高校編~

です!

 

ちなみに、

第1弾はこちら!



 

第2弾はこちら!



 

 さあ、いよいよゆっぴは高校(清水東)に入学しました。

 今まで、いろんな壁にぶつかってきましたが、

高校ではどんな壁やGAPに苦しむのでしょうか。

はたまた薔薇色の学生生活を送るのでしょうか。

どんな挑戦が待ち受けているのか・・・。

見ていきましょう!

 

 

目次

・小中と高校のGAP

・名門サッカー部の競争

・部活を引退してから大学進学までの道のり

 

 

 

 

                                                                                                             

小中と高校のGAP

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高校に入学し、

最初は今までの常識が通じませんでした。

というより、小中が非常識だったかもしれませんがw

 

大きく分けると3つ。

①私服登校ではなく、制服登校

②授業で教科書を使う

③テストがやたらと多い

 

と、ごく世間一般のこと。

しかし、小中は全く逆だったので、最初はこのGAPはありましたね。

 

特に②授業で教科書を使う

まず、

毎日リュックに教科書入れてかないといけないし、

リュック重いし、

水筒がリュックの中でこぼれたら最悪だし、

と、授業云々の前にw

 

そして、授業。

最悪につまらなかったですね。(失礼)

というのも、今までの授業はクリエティブ。

つまり、創造であり、正解はないわけです。

しかし、教科書の授業は正解があるわけです。

その正解に辿り着かないと不正解なわけです。

人工的です。

 

小中→国語

高校→数学

みたいな。

分かりづらいですかねw

国語(特に現代文)は読み手の捉え方によっていくらでも考えは出ます。

そして、それには正解はありません。

感じたことが正解なんです。

誰も人の主観に対して、それは間違っているとは言えないですよね。

だって、その指摘した人も主観なんですから。

正解なんてないんです。

 

一方で数学は、確実な正解があります。

A×B=AB

これは周知の事実です。

A×B=CD

とはならないわけです。

数学は過程は何通りもありますが、正解は1つです。

*ややこしくなるので、計算の過程は創造の一種ではないかという意見は除外します。

その正解に辿り着くための計算をするわけですよね。

ま、数学は好きでしたけどねw

 

ちなみに、高校の時は文系ではなく、理系でした。

理由は単純明快。

「理系に進んだ方が国立大学進学率が高いから」

死んでも私立大学には行きたくありませんでした。

別に私立大学を悪く言っているわけではありません。

シンプルに親に迷惑かけたくなかったのと、

国立大学の方が地頭良いやつが多いイメージだったので。

そんだけです。

 

数学の授業レベルは高かったですね。

よく言われてたのは、

「赤本の問題解くより、清水東の数学テストを解く方が難しい」

あほっすわ。

ほんとに。

教師も東大、京大レベルだったてのもありますけど、意味不明。

毎時間、教室の前の黒板だけじゃなくて後ろの黒板も使いますもんw

数学だけは、テストの学年平均点、

100点中20点台

とかざらでしたね。

30点取ったら偏差値余裕で50オーバーw

おかしい時は偏差値80のやつとかもいたな。

 

そして、やりたくないのに、数ⅢCまでやりましたよ。

わけわかんなかったけど。

それ以前に受験科目に必要なかったから放置でしたね。

赤点は取らなかったので良しとしますw

 

て、こんなで慣れるまで時間かかりましたね。

これ、ほんとは世間一般の事ですけど、私には衝撃的すぎましたw

 

 

 

 

                                                                                                           

名門サッカー部の競争

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これ無しには、高校生活語れないでしょう。

 

バケモノ集団でしたね。

部員数は100人超え。

監督、コーチ陣7名。

OB会のバックアップ、支援金。

 

さすが、20年以上前は全国制覇を何度もしていた強豪校です。

今となっては古豪と呼ばれていますが、

まだまだ優秀な選手は集まってきてます。

 

基本的には各中学・クラブのキャプテンや主力選手。

市選抜、県選抜。

更には世代別日本代表。(U-15やU-16)

と、おかしいわけです。

中学時代、強豪でもないクラブでキャプテンを務めてた私は

半分天狗になってました。

「戦えるやろう」

と。

しかし、現実は甘くないですね。

レベルが違いました。

次元違いました。

 

やつらは足にボールが吸いつくんです。

スパイクにボンドでもつけてるんかな思うくらい。

手より器用に扱います。

 

めちゃくちゃ鼻へし折られましたね。

なんだこの環境は。

って。

 

しかし、落ち込んでる暇はないんです。

練習するしかないんです。

バケモノに追いつくには。

 

そして、高校で再開した人物がいます。

それはかくやです。

皆さん、覚えていますでしょうか。

Who’sゆっぴ!?~小学校編~

で登場したあの、「かくや」です。

まだ読んでない人はチェックしてみてください。


かくやは中学の時、部活でキャプテンを務めてましたね。

かなり強い中学でよく県大会上位に行っていました。

まさかの再開です。

中学時代はライバルだったのが、

今度は仲間です。

というのも、競合相手には変わりありません。

かくやに負けたくない!という気持ちも強かったですね。

 

夏休みは地獄でしたね。

毎日毎日試合です。

炎天下の中。

一日、何試合も何試合も。

多い日は、1日で30分×6本とか。

6本目とか全く動けないですよ。

足を動かすので精一杯です。

 

中学は車移動が多かったですが、基本的には自転車移動。

遠かったら試合する前にクタクタです。

特に、三保の松原は遠かったなあ。

片道1時間とかざらですからねw

ちなみに、私は高校通学も自転車でした。

片道12km。

足腰鍛えられましたねw

 

遠征も多く、いろんなとこ飛び回りました。

1番遠かったのは、韓国遠征でしたね。

韓国のユースチーム(下部組織)

*日本で言う、Jリーグのユース。(ex.セレッソ大阪ユース、清水エスパルスユース)

や地元の強豪校と連日試合をしましたね。

印象に残ってるのは、移動中のバスの弁当。

真っ赤でしたよ。

試合前にそれ食べて腹壊したやつ何人かいましたね。

俗にいう、アウェーの洗礼ですww

 

そんなこんなで、3年間切磋琢磨しました。

しかし、怪我も多かったです。

捻挫や打撲。

一番最悪だったのは股関節痛。

毎年、冬の時期はサッカー出来なかったですね。(3カ月ほど)

股関節が痛すぎて、ボールを蹴れないんです。

これは大きなビハインドでした。

秋くらいに試合で結果出して、

次からトップチーム帯同しろって言われたのに、股関節痛。

悔しかったですね。

と同時に申し訳なかったですね。

期待してくれているのに恩返しが出来なかったので。

すごい、目をかけてくれたコーチもいたんです。

 

ある時期は練習中に監督からすごい怒られてた時ありましたね。

練習中ストップして、全部員集めて、

100人の中で名指しで怒られる。

きつかったなあ。

怒号がすごい。

「なにしてんだあぁぁぁぁぁぁdlkajwdhawhdlsaj」

みたいな。

その中でも、馬場ちゃんというやつがいるんですけど、

そいつはBABAということでBBと呼ばれてました。

私は、なぜかわかりませんが、佐藤なのでGGと呼ばれてました。

*GG佐藤という野球選手がいるため。(なぜ野球で例える!?)

よく、GG&BBで怒られてましたね。

これは笑い話ですw

 

そんなこんなで、

現実は甘くなかったです。

ふてくされた時期もありました。

苦しい時期もありました。

というより3年間苦しかったですね。

あの3年間があるから今があるといっても過言じゃありません。

辞めなくてよかったです。

 

最終的に100人以上いる中で11人には入ることはできなかったですが、

この経験があったから、今があります。

欲を言えば、3年間腐らずに120%やりきりたかったという後悔はありますね。

しかし、当時は苦しくて苦しくて仕方なかったですね。

 

この3年間を一緒に乗り越えた仲間は心強いです。

毎年、年末年始にはみんなで集まってます。

来年も楽しみですね!

 

 

 

                                                                                                           

部活を引退してから大学進学までの道のり

 

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部活自体は3年の6月あたりには引退しました。

指定校推薦やAO入試(慶応、早稲田、青学、明治・・・etc)

を狙っているやつ、選手権(冬の注目大会)まで残るやつは

12月までやってましたね。

 

正直、3年の6月まではサッカー漬けで勉強なんてあんまりできていませんでした。

この時なんて正直国立なんてどこもZ判定くらい酷かったですね。

そこからは追い込みです。

授業は勿論のこと、

帰宅せず、

自習室こもったり、

マックで勉強したり、

猛勉強です。

 

夏休みは1日10時間以上はやりましたね。

量やれば良いって訳ではありませんが、

やらないと不安になるので。

よく、

「受かるか心配で夜も眠れない」

という人がいますが、

そんなこと心配する余裕あるなら勉強しろ。

ってことですw

 

こんなことが出来るから部活をやっていた人って追い込みがすごいんでしょうね。

周りもメキメキ点数伸ばしてました。

 

私のサッカー部の代も非常に優秀で、基本的に

国立の医学部、旧帝レベルです。

レベル高いですw

ちなみに、中学の時のやつらは東大・京大多いですw

ほんと、林先生が周りにいましたよ。

 

そんなこんなで、私が最終的に選んだのは、大分大学教育学部(大分県)

中学の時から教師に憧れていました。

なぜ、大分大学!?

と思うかもしれません。

理由は大きく分けて2つ。

①誰も知り合いがいないとこに行きたい

②教員免許が数多く取れる

この2つが決め手ですね。

特に②教員免許が数多く取れる大学は非常に限られてます。

普通の教育学部は、

中学校の免許のみ。

とか、

小学校の免許のみ。

ってとこばかり。

その点大分大学教育学部は、小中高取れます。

これすごくないですか?

九州面白そうだなってのもあり、決めました!

 

正直センター試験は失敗しましたが、

それでもA判定だったので何とか大丈夫でした。

そんなにレベルが高くない国立大学なのでw

ここと滑り止めの私立1校しか受けてなかったですね。

その私立には絶対行きたくはなかったですけで、

どうしても受けろって担任に言われて渋々。

特体生として合格したので、入学金・授業料免除でしたが、

静岡でしたし、独り暮らしできないので絶対嫌でしたw

 

 

 

まとめ

ということで、以上、

・小中と高校のGAP

・名門サッカー部の競争

・部活を引退してから大学進学までの道のり

でした。

いやー、今回も内容盛り込みたかったんですけど、

盛り込みすぎてもな。

ということで割愛です。

学祭、恋愛、友人との衝突、教師との口論

いろいろあります。

気になる方はコメントや質問くださいw

 

 

ということで、サッカーメインの高校生活が終わりました。

いやー、高校も壁にぶち当たりまくりましたねw

多くの挑戦がありました。

 

さて、次回はWho'sゆっぴ!?シリーズ(自分史)

第4弾!

 

Who's ゆっぴ!?~大学編~

です!

 

独り暮らし、

初の九州、

知り合い0、

そんな状況からいかに大学生活をスタートしたのか。

そして、次はどんな挑戦をするのか。

 

次回も乞うご期待!!